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#35 石垣島のバッティングセンター

#35 石垣島のバッティングセンター

今年、和歌山県の紀伊田辺駅前で初日の出を見た。 

その時に、昨年2018年は自分の中の粗暴な一面を見てしまったので、今年2019年はハートウォーミングな面を全面的に出して行こうと、考えた。

    

私が自分の情動を揺り戻す時には、向いてしまったベクトルとは対極の感情に無理やりベクトルを差し向けるという方法をとる。

私の場合<カリカリ・イライラ>の感情の真逆は、<クヨクヨ・メソメソ>である。

「怒り」を覚えた時は悲しんでみて、「悲しみ」がひどい時はイラついてみたりする。

そうやってる内になんだか分からなくなり、感情の波はおさまり、波の無い平穏な「凪」の状態の、穏やかな自分に戻る。

これは一度、禁煙外来で禁煙を試みた時に、やたら感情の起伏が激しくなった時に気付いた感情コントロール法である。

思いっきり逆サイドに揺さぶってみると、疲れてきて「なんだこれ?」と、少し俯瞰して自分を見れる視点になる。

なのでここ数か月は、それほど見たくもないセンチメンタルな小説や映画を出来るだけ摂取してきた。

   

そんな折に、レジリエンスという言葉に出会った。

レジリエンスとは、「反跳力・復元力・回復力・弾力・再起力」というような意味をもつ。

ストレスと同じく元々は物理学・工学の用語であるが、ストレスと同じように現在では心理学などの分野で精神面に熱心に使われている言葉である。

逆境やストレスにさらされた時に、「まっ、なんやかんやで元通りに戻るっしょ」と楽観する姿勢、そのような精神的なしなやかさを持つ人は、レジリエンスの高い人と言うらしい。

別に、レジリエンスを発揮する際、感情を逆サイドに揺さぶってみたり、自分の内面をもてあそぼうとするのは推奨されてはいない。

だが、あまり一定の感情に囚われてないで元に戻そうとする、という意味では、私がここ数か月実践した出来るだけセンチメンタルな日常はレジリエンスに適った行動だったと信じたい。

  

  

さて、そんな感傷的な日々を送る中、私は石垣島へフライトした。

もちろん2日間、おセンチな曲をずっと聞きながら、成田空港から着てきたダウンコートを南ぬ島石垣空港のコインロッカーに預け、石垣島を歩いた。

こんな作り話を考えながら。

  

 

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沖縄県石垣市 スポレクランドバッティングセンター【HR的無し】

情報サイト:https://ishigaki.keizai.biz/headline/464/

〒907-0002
沖縄県石垣市真栄里123

電話番号:0980-87-8844

定休日:おそらく年中無休
営業時間:9:00~22:00

石垣空港からバスで27分くらい(みんさー工芸館前で下車)
そこから徒歩11分くらい
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石垣空港
石垣島
石垣島
沖縄自販機

  

  

沖縄県石垣市には日本で最南端のバッティングセンターがある。

石垣島という所は、九州、いや、沖縄本土よりも台湾にほど近い。

そんな石垣島の春の訪れは早い。

2月の下旬には気温は25℃を超え、スギではないが花粉も飛び始める。

―――花粉に混じって―――ではないが、そんな時期にレイコという転校生がやってきた。

  

内地、それも大阪から来たという紹介で、一時クラスの皆は色めき立ったが、すぐに普段通りに戻った。

それどころか、しばらくすると、レイコ へと注がれる視線は、徐々に上がっていく外気温とは真逆に、平年より下回るほど冷えていった。

―――レイコはとにかく暗い。―――

声は小さく、主張に乏しく、周りに馴染もうとはしない。

方言に慣れないのか、石垣の風土が合わないのか、誰かが話しかけても応答はほぼなく、ぎこちなく笑うだけだ。

 

珍しい転校生というハネムーン期間が終わった頃、レイコのクラスでの序列は緯度で言うと日本最南端に位置していた。

クラスのお調子者の喜屋武くんに「大阪の旨いモンはなんなんさー?」と聞かれた時にお好み焼きと答えようとして、「豚玉・・・」と言った事をきっかけに<豚卵>と早合点され、「ポークたまご?」と大笑いされた。

クラスのうちなーんちゅ達は大ウケし、その後「スパムさん」や「おにぎりさん」と勝手に次々と改名されていった。

石垣では「おにぎり」といったら「ポークたまご」で、「ポークたまご」といったら「おにぎり」という固定化されたイメージがある。

そんな世界では、レイコが、そして大阪が誇る「ナニワ名物の粉モン」は、曲解されて「海人名物のおにぎり」にされてしまったのだ。

  

全く不本意な受け入れられ方だったが、レイコはいつもぎこちなく笑うだけしか出来なかった。

午後からぐずついていた曇り空は、下校時刻にはパラパラと雨を降らせた。

学校からの帰り道に、 ひとりで 「豚玉も美味しいけど、おにぎりも美味しいやんな」と虚空に呟いてみる。

レイコの呟きは、すぐに雨に濡れて地面に落ちて、海苔みたいにバラバラになって道路に溶けていった。

レイコは濡れてしまわないように、転げるように家路を急いだ。

そう、大阪から転校して来たおにぎりさんとして。

  

レイコはある日、ドルフィンファンタジーへの遠足の日にお母さんにお願いをした。

―――「美味しいおにぎりを作って」―――

お母さんは天むすを模して、唐揚げを具にしたおにぎりを作ってくれた。

  

遠足当日、外国人の女性バスガイドに男子達は盛り上がり、バスの車内は和気あいあいとしていた。

バスガイトがゲッティーさん、そしてバス運転手が波須田さんという事で、パスタとゲッティーだと誰かが言い、スパゲッティーバスツアーなんだと話が展開していき、麺類ではないおにぎりであるレイコが乗ってちゃマズいだろうとまで誰かが言っていた。

そして、食べ物の話でお腹が空いてきたクラスの皆で、持参してきた昼のお弁当の話題になった。

サザンゲートブリッジに差し掛かる頃に、レイコの順番になり、満を持してお母さんが作ってくれた唐揚げおにぎりを披露する。

すると、クラスのいじめっ子の阿波根くんに「なに?唐揚げのおにぎりって?」とバカにされた。

車内に響き渡るクラス全員の笑い声までは、ぎこちなく笑い、我慢しているレイコ。

しかし、お母さんのおにぎりを取り上げられ、バスの車窓から太平洋に投げ捨てられた。

それを見て、さらに盛り上がる者、さすがにやり過ぎだろうと押し黙る者、見て見ぬふりをして別の話題に切り替える者、クラスの反応は様々だった。

  

その、瞬間に、レイコの、心の、おむすびは、ほどけた。

  

  

とりあえず持っていた割り箸を阿波根くんのこめかみに突き刺し、「お前、あはごんって何やねん、読める訳ないやろ?あ?」と血を流し倒れる阿波根くんの頭をサッカーボールキックしてやった。

突然のことに、隣に居た喜屋武くんは声も出せず呆然としている。

そして、レイコは「ちびぬみーから手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタ言わしたろか?いまさらキャンキャン吠え面かいてんちゃうぞ?」と啖呵をきって、クラス全員の眼球を海ぶどうのように押しつぶしたり噛み砕いたりした。

担任を含めたクラス全員を粉々のちんすこうのようにバラバラにしたあとに、飛び出た内臓を見ながら呟いた。

「お前ら、紅いもタルトより真っ赤やないかい」

怯える運転手とバスガイドを残して降ろして、バスごと太平洋に突っ込ませる。

「これで海のもずくやな?なぁ?」

震える二人に、こう吐き捨てた。

「おい、笑わんかい?笑わんねやったら・・・」

「お前らも、おにぎりにしたんぞ」

 

 

その後のレイコの消息は不明だ。―――花粉とともに―――消え去った。

なぜか、この事件は運転手が業務上過失致死として起訴されたが不起訴処分、監督責任のあった担任の先生も同罪が適用されたが被疑者死亡により不起訴となっている。

翌年、運転手は「サザンゲートブリッジ事件」の目撃者として雑誌の取材を受ける前日に、フェリー乗り場の傍の海に浮かんでいた。

続いてバスガイドも、何者かに割り箸で襲撃され、身の危険を案じ、日本が恐くなり帰国している。

共に両手足、口を海苔でグルグル巻きにされており、同一犯の可能性が疑われたが、未解決に終わっている。

そうして、事件後に生き残った関係者はレイコの犯行を口にする事はなかった。

この不可解な事故の原因を究明しようと市議会では教育委員会が中心となる調査委員会が立ち上げられた。

しかし、市長、地元新聞記者、琉球おにぎり本舗の店長までもが、事故後、相次いで不慮の事故死に遭っている。

 

レイコの凶行は終わっていないのではないだろうか。

レイコという人物が「おにぎり」というあだ名をつけられてイジメに遭っていたという実態、クラス全員分の遺体があがっていない事や、琉球おにぎり本舗の入荷直後の大量の海苔が盗難に遭っていた事が、徐々に明るみになり、様々な憶測が飛んだが、真相はいまだ闇の中、いや、太平洋の底だ。

裏社会に詳しいジャーナリストの見解では、レイコは台湾に密入国し、おにぎり屋を営んでいるとの情報もあった。

しかし、凄惨な「サザンゲートブリッジ事件」いや、不可解な「サザンゲートブリッジ転落事故」から8年が過ぎ、人々の記憶からも忘れ去られ、風化していった。

  

 

あるネット記事で「海外で日本文化を広める外国人10人」という見出しが掲載されていた。

6人目に紹介されていたイギリス人女性は地元で B・R・T 「ブリティッシュ・ライスボール・スロー(おにぎり投げ)」という祭りを主催するマリッサ・ゲッティ氏。

日本本州での生活経験は無いが、那覇市で日本語講師、石垣市でバスガイドを経験し、吸収した日本文化は特別で美しく豊かなモノだったと言う。

日本の歴史や方言や食文化や民族意識にも精通し、辺野古基地移設などにも積極的に問題意識を持っていたと語る。

ゲッティ氏はイギリスも同じ島国であるが、母国ともまた違ったジャパン特有のおもてなしや思いやりなどの人柄・精神性の魅力を発信しているようだ。

 

ただ、日本食についての質問に対しての返答は、何か違和感を禁じ得ない。

「日本食で、思い入れの深い食べ物はありますか?」

時折、標準語には無い訛りで答えていたが、これに対しては明らかに地方が限定される訛った答え方をした。

  

「uhh・・・せやな、豚玉やな。」

ゲッティ氏はぎこちなく笑った。