#24 ハーフスイングの定義とバッティングセンター
前の前の記事の「半島にあるバッティングセンター」からの着想で、そういえば野球における「ハーフスイング」とは一体なんだったのだろう?という思いに言葉を与えてみるこの記事。
まず、ハーフスイング(英:Checked swing あるいはHalf swing)とは、野球においてバッターが打ちに行こうとしたが途中でその動作を止める、という中途半端なスイングの事である。
実際の「野球規則」を明らかにする前に、私が野球少年であった時代の「野球人的ドグマ」では「ハーフスイング」がどのような印象をもたれていたかをおさらいする。
・中途半端なチャレンジである。
よってストライク・ボールの判定に関わらず批難されて然るべきである。
・見極めが出来ていない。
よって選球眼の無さ、打撃の下手さを露呈したと判断される。
・「だったら思いっきり振り切って来んかい」と叱られる。
・でも2ストライク後は「くさい球には手を出しとけ」と言われている。
よって2ストライクに追い込まれた時は、カウント的にも精神的にも追い込まれている。
・とにかく「ハーフスイング」は中途半端で半チクでセコく思い切りの無いケチで未熟者で度胸の無いというレッテルを貼りやすい「野球人的ドグマ」から観ると、下品で醜い批難に値するプレイとされていた。
少し誇張して過激に記述したが、野球経験者であればうなずける部分があるのではないだろうか。
今思えば私は、「はて?そんなに言われなきゃいかんもんかね?」と感じていた。
その頃に抱いていた疑義は、時を経て今、「おいおいずいぶんクソぶっかけがいがあるやんけ」と思っている。
それでは、「公認野球規則」を紐解いていきたい。
1冊1000円(税別)で売っているらしいが、そんなものは買わない。
私は野球に詳しくなろうとは思っていない。
なのでwikipediaの「空振り」のページを参照する事にする。
ハーフスイングとは、投球後にバットを振る動作を途中で止めることをハーフスイングという。
そして、
公認野球規則上はハーフスイングが空振り(スイング)になるかどうか(ストライクかボールか)、あるいはどこまでバットを振ったら空振りとなるかといったことに対する明確な定義はない。そのため空振りがあったか否かの判定は審判員に委ねられている。
は?
あ?
明確な定義がない?
アンパイアのさじ加減だと?
こんなあやふやなルールでよく何世紀も続けてきたなと思ってしまった、このルール上の曖昧さによる誤審が毎球起こり得る、危ういスポーツだとも言える。
だが、確かにスイングの明確な基準は決めづらい、私はまことしやかに「手首が返ってるか返ってないか」が基準だと聞いたこともあったが、規則上はそうでもないらしい。
野球では「審判は神様」と言うが、その通り「ハーフスイング」か否かは個々の審判様の判断に任されているらしい。
これが起こるのは、バッターが手を出すか出さないか判断に迷うくらいだから、ストライクかボールかギリギリの球である事が多い訳だ。
もちろん主審はその球の見極めに集中する。その間バッターのスイング加減は周辺視野で感じ取るしかない。
だから1塁塁審か、3塁塁審かにもバッターのスイングを判断する権限がある。
しかし、少年野球ではちゃんとした公式戦でない場合に、塁審が居ない(置けない)場合がある。
だから「微妙なスイングとかややこしい事はするな」「そんなもんは卑怯者がすることだ」「ちょっとでもスイング始動してたらストライクな」と、こんな理由で、前述した「ハーフスイングは中途半端な人間が行う批難に値するプレイ」とされていたのではないだろうか。
少なくとも私が経験した「野球」は、「審判も人間だからさ、微妙な決断を強いるようなプレイはなるべく避けてあげようよ」的な他者を思いやる教育、ジャッジメントを下す事の難しさ、それを慮る教育的性質は無かったと感じる。
やはり「ハーフスイング」ひとつを挙げても「野球人的ドグマ」特有の「審判は絶対」「審判は神様」という「君主制」「天皇制ファシズム」のようなイデオロギー臭い教育的性質がそこにはあったと感じる。
「公認野球規則」に基づいて・・・なんて一見、立憲主義のような顔をしてても「審判様」という野球における「天皇様」の権能はいまだに強大なのである。
野球を続ける限り、この「天皇様」の「御言葉」が戦況を大きく左右し続ける事は間違いない。
こんな書き方をすれば「野球」そして「野球人的ドグマ」に私が感じている「危うさ・うさん臭さ・いかがわしさ」が伝わらないだろうか?
私は「ルール上の曖昧さ」と言ったが、これは突き詰めて明文化すべき「法的不備」だと責め立てたい訳では無い。
確かに、どうしても「ハーフスイング」はルール化し難い。
判断しずらく、回避し難い曖昧さだ。
バッター側からすると2ストライクに追い込まれた後のクサい球はカット(ファールチップに)するという技術で対応できる。
私はこのカットの技術に長けていたと記憶している。
は?
そんなちっぽけな自慢をするために書き始めたんじゃない。
練習試合などで球審をつとめた経験もあるが、その時の判断基準の底にはやはり「なんとなく、そう思う」が横たわっていたと記憶している。
要は、野球はハーフスイングにおいてルール上の曖昧さがあったりするんだよー。
それを成立させる為に野球少年には精神論みたいなもんでハーフスイングを抑制させてるんだよー。
だからハーフスイングの曖昧さを引き受けなければいけないアンパイアも大変なんだよー。
誤審誤審ってあげつらうのは簡単だけど、そりゃ今後もいくらでもあるよ、だって神様じゃないもの、人間だもの。
だって野球の試合中は、審判は天皇であり、ストライクコールは御言葉だもの。
「空振り」のページの下に、興味深い記録が記述してあったのでリンクを貼っておく。
「珍記録」
現在プロ野球ではビデオ判定、リクエスト制度、チャレンジ制度、コリジョン・ルールなどと、審判の判定(天皇の判断)を、再確認、再考してもらう制度が出来た。
試合結果に影響が大きそうなプレーに限定して異議を申し立てられるという制度で、ジャッジメントの質の向上などを目的とされてるのだが、私はナンセンスだと思う。
これまで誤審に見える判定も含め「野球は筋書きの無いドラマ」だとかいう文言で回収してきたじゃないか?
何をいまさら脱近代の姿勢を見せてるんだ。
私の考えでは、野球が現代に寄り添う必要は無い。
相撲と同じく時代錯誤のまま、永遠に出し切らない膿を世間に露呈し続けていて欲しい。
私個人的に、嫌な事があったから、どうも今日は人が悪い。
もう野球はスポーツの動画コンテンツとしては「視聴率の取れないくせにやたらと長くて陳腐な筋書きの無いドラマ」だ。
ただその広告宣伝にかかる商業的価値はあるのだから、大企業に引き取ってもらってさらに価値を高めたら良いとは思う。
ただ新規のスポンサーが「野球人的ドグマ」に侵された旧来のタニマチやパトロンと上手く距離をとれるのかは、知らない。
だいたい平成が終わろうとしてるのに、新聞社と鉄道会社の戦いなんていつの時代なんだ。
私はFinTechとかIoTとかAIとか情報産業系の戦いが見たい。
だが、平成30年現在、我々大衆は、アナログなスポンサー企業のプロ野球結果を、スポーツニュースで流し見してやいのやいの言い合っている。
はいはい、そうでーす、私もそうでーす、趣味はスポーツ観戦でーす。
こんな感じが現代日本の一般大衆とスポーツとの関わり方の常識だ。
今回は、タイトルの「ハーフ」そして中途半端な動作という事で、全国の「半」が付くバッティングセンターをひもづける。
「だから何?」と思ってもらえれば、それで良い。
そう思ってもらうにこしたことは無い。
半田コロナワールド バッティングドームコロナ
〒475-0838 愛知県半田市旭町3丁目11-1
半田山スポーツ
〒433-8104 静岡県浜松市北区東三方原町198
愛知県は全店制覇したはずなのに見逃したのかと、一瞬ギョッとしたが、ストリートビューで確認した限り、現在は、無い様子だ。
失礼な話だが、なんかそれでホッとしてしまう自分が居る。
なのに、今年5月に行った北海道の「若草バッティングセンター」が今月に閉店を迎えたという情報を目にしたら、どこか感慨にふける自分も居る。
一体、私はバッティングセンターにどう在って欲しいのか良く分かってないのかもしれない。
未だに中途半端な気持ちでこの趣味を続けているのかもしれない。
因みにこの記事のサムネは「半田ごて」の画像を使った。
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