#36 坂の途中のバッティングセンター

前々回のタイトルの「山の上のバッティングセンター」よりも、バッセンの存在をより叙情的にあらわすにはこの「坂の途中のバッティングセンター」の方がしっくりくる。
全国各地のバッティングセンターに通う人々の、
・明日の試合で活躍するため
・レギュラーを勝ち取るため
・将来プロ野球選手になるため
などの様々な野球人の思いを、全国各地で応援するバッティングセンター。
熱い思いを抱えてバットを振る人達は、それぞれの「坂の途中」なのだ。
そんな自分なりの良いスイングを見つけるために、坂を上り続ける人達のために、まさに地理的に坂の途中に位置するバッティングセンターを集めた。
まだまだ行けてない西日本や北海道などにはまだまだあるかもしれないので、見つけ次第、追記、編集していく。
この記事もまだ完遂させない、上り切らずに坂の途中に置いておきたいからだ。
で、今の視点は、私が言う所の「野球人的ドグマ」に冒されている人たち向けへのメッセージだけである。
私はそんな「野球人」だけでなく、野球素人や未経験者などにもバッセンを最大限に有効活用してもらえれば幸いだと思っている。
いつか言ったが熱心な野球人がバッティングセンターに通うのは、人生の中では一瞬で、とても一過性のあるユーザーである可能性が高い。
野球人気の凋落、少子化に伴う野球人口減少をもって、熱心なバッセンユーザーの数は、明らかに今後下り坂へ突き進む。
ほとんどの野球経験者はいつか野球と向き合うのを辞め、別のスポーツや趣味や恋愛や進学や就職へ、日々の生活の方向性を切り替える。
「日常」というスマホのトップ画面からは「野球」のアプリのアイコンは端に追いやられ、いずれ別の没頭出来る事、熱心になれる事を見つけた時に、「日常」から「野球」は消えていく。
ただ日常からは表面上消えたかに見えるが、野球に入っていた「野球人的ドグマ」は無意識に刷り込まれていて、その後の意思決定や判断に影響を残す。
改めて「野球人的ドグマ」とはどういったものなのか整理してみる。
・全体の勝利のためには個人の犠牲はいとわない
・大声やヤジや罵倒で敵を威圧し、スポーツマンシップに反する行為も時には許される
・他のスポーツの中で一番偉い・人気であると思っている
・気合主義・根性主義、とにかくスポ根=美徳な精神主義
・兵隊のような行進や校歌斉唱や円陣など戦意高揚させる儀式が受け継がれてきた
・体育会系縦社会・年功序列主義で、伝統を重んじすぎて、科学的合理性などは二の次三の次
・保守的でメジャーのデータ野球をすぐに受け入れられない
・成長期の高校球児に対する球数制限などは、筒香選手が外国人特派員協会の記者会見で意思表明しようが高野連が潰す
すると、ひとり特定の人物が思い付いた。
張本勲氏だ。
精確にいうと「サンデーモーニング」で「喝っ!」とか言ってるキャラのハリさんだ。
「野球人的ドグマ」という私が作った抽象的概念をキャラクター化するとあの日曜日のハリさんになるのだ。
張本勲氏はプロ野球の打者として輝かしい功績を残した。
だが、しかし、それだけの事なのだ。
野球界で監督やコーチの経験はない。投手・捕手の気持ちも分からない。ましてや他のスポーツなど専門外である。
指導者の目線など持ち合わせない上に、スポーツ全般のコメントをするには知識も経験も深みが足りない、人気の三流コメンテーターだ。
だが、あの力道山をして在日韓国人である事を隠していた時代にも関わらず、在日である出自を胸張っておおっぴらにしていた事は何かの矜持を感じる。
ま、しかし、私の印象としては頭の凝り固まった大昔の大スターだって事だ。
「野球人的ドグマ」にどっぷり浸かった昔取った杵柄で暴走した老害コメンテーターを演じさせられている悲しき昭和の大スターだ。
残りの人生もそんなに長くないであろう。テレビの視聴者(大衆)は不思議な事に意外と不快なものにも興味をひかれる。
時代錯誤のやかましいクソジジイを演じて余生もご活発にエンジョイして頂きたい。
だいぶ話が脱線した。この記事は「坂の途中」がテーマだった。
ま、そんな人生の中でイージーモードの下り坂に感じて力を込めなくても加速していく瞬間なんかもある。
そして力を抜いて惰性に身を任せた時にやってくる上り坂で、力がでなくて息切れして座り込む事なんかもある。
そんなこんなで振り返れば人生の道になってるし、まだ先に坂があると感じながらどこかの道なかばで人生はゲームセットする。
「坂の途中」なんて言うとまるで「一心不乱に己の坂道を登りきるんだ!」みたいに、情熱を燃やして発奮しようとしてると思われかねない。
私は別に人生を坂道になぞらえて、全力を注ごうとしている訳ではない。
出来るだけ気高く、出来るだけ愉快に、出来るだけうかつに、そこそこの後悔を残して、ゲームセットを迎えたいと願っている。
人間ひとりは、人類史上でみれば、ちっぽけな坂のもの凄い中途半端な区間しか生きられない。
宇宙史上でみれば、坂なのか道なのか判別つかないくらいで、誰かが情熱を燃やしてようが燃やしてなかろうが、力を込めてようが込めてなかろうが、誰も気づかないし、誰も咎めない。
神が居ようと、救済もしないし、天罰も下さない。
心に薪をくべてガンガン燃やそうが、くすぶってようが、ダッシュしてようが、座り込もうが、誰がどうしてたっていい。
何をしてようと誰もがいつかは宇宙のチリか海の藻屑になる。
私はかなり馬鹿で高校に2か月しか行っていない。無論、白新高校など卒業していない。
でもだからまだバッセン旅を辞めないんだと思う。
馬鹿と煙は高い所が好きだ。
馬鹿も煙も、力を込めなくても勝手にのぼっていく。
目に見えて燃えなくても、中でくすぶっていても、馬鹿なら勝手にのぼっていく。
もし、バッセン旅に少しでも同じ匂いを感じる馬鹿な同士が居るならば、各々の何らかの「坂の途中」に居るんではなかろうか。
その道の先の険しい傾斜や困難な壁などを見つめ、できるだけ先へ踏破してまだ見ぬ景色を見ようとしてるんではなかろうか。
人と比べる暇などない。人と比べる意味もない。人を連れ立つ必要もない。
そういう時間を過ごして、出来るだけ見た事の無い風景を求めているんではなかろうか。
『#31 同じ名前のバッティングセンター』で取り上げた「田中宏和宣言」に、なぞらえれば、「世界中の坂の途中の人、エンジョイ!」だ。
のぼり続ける以上トライ&エラーの繰り返しだ。くじけながらあがき続ける。
そう思える限り、ミスは次のチャレンジの切符であり、失敗はもはやイイコトだ。
そこで!だ。
バッティングセンターのまた新しい価値を摘出したい。
私は人生の節目節目や、しんどい時、独りになりたい時や思い詰めた時、などに度々バッティングセンターを安息の場所としていた。
大学の課題が進まない時、就職活動時、失恋、揉め事、電話の鳴りやまない週末、とにかく家に帰りたくない時など。
疲れちゃってくじけたくて座りたくて、とにかく自分をそっとしてあげたくて、そんな時はバッセンに居る事をよく選んだ。
喫緊の問題には目を背け、アーム式のピッチングマシンから出てくる白球に集中して目を凝らすことで、何か少し忘れられる気がした。
そういう「サボリ場」的な魅力もバッセンのひとつではないかと考える。
ただそれを有り体に言うと「ストレス発散」という表現になってしまう。
発散っていうと解決するっぽい語弊を招く、私の中ではあくまで日常を少し点検するサーキットのピットのような感覚だった。
また「サボリ場」と称すると少し勤労の義務を怠る反倫理的なイメージを抱かれるかもしれない。
でも、お前ら「空気」を読んで「世間」に安住する賢い「大衆」様達は、そんなに真面目じゃないだろ?
「休憩所」「整備所」「ピット」のようなそういう感覚でバッティングセンターに行く。
そしてまた各々の坂を登りだす。
『#4 23区内の駅近スパとバッティングセンター6選』 でも書いたが、「昨日のバッティングセンター」とは「古朴で落ち着ける場所」であり、自分の日常が煩雑にもつれかかった時や、ややこしい難局が訪れた時に、「時間的にも精神的にもサボれる空間」こんな受け皿としても存在する全国各地の古朴なバッティングセンター。
野球経験など関係ない。
日常においてミスをした、ケンカした・・・はぁ。
でも明日も坂道が待っている・・・はぁ。
そんな時は、一旦バッティングセンターで座り込んでみたらいかがでしょうか。
で、ちょっと打席でボールに目を凝らして疲れて、空振って疲れたら、何か少し忘れられるかもね。
で、上手く行けば、考え事も打球と一緒に、前に飛んでいくかもね。
■■■坂の途中のバッティングセンター■■■
「須磨山麓バッティングセンター」(兵庫県神戸市)
・私は上から下ってきてスピードが出すぎて一度通り過ぎた。山麓といっても傾斜はけっこうあるので留意されたい。目の前の坂はまっすぐな一本道で坂の途中バッセンに一番ふさわしいかもしれない。
「北鈴バッティングセンター」(兵庫県神戸市)
・神戸駅付近から向かうとちょくちょく渋滞する一本道の山道を抜けて、さらに坂道の途中に現れた。Uターンしずらい西六甲ドライブウェイ沿いに位置する。運転に集中していると見逃がしかねないが、発見した時の喜びが味わえる。
「中山バッティングセンター」(宮城県仙台市)
・珍しく行きはタクシー、帰りはバスを選んで行った。帰りのバス停を探してるといきなりものすごいデカい大仏さん(仙台大観音)を発見した。今調べてみるとそんなに急な坂ではなかった。付近は住宅地やイオンモールなどもある。
「東京バッティングセンター パート3生田店」(神奈川県川崎市)
・まるで近くの専修大学生しか知らないんじゃないかと思えるような山の中であり坂の途中の立地にあるバッセン。でも実は目の前の通りの交通量は多く、付近の住民は結構知っているはず。ただ駐車場が裏の通りにある事は行くまで知らなかった。
「後楽園バッティングセンター」(宮崎県小林市)
・千葉の話で奥様と盛り上がらせてもらった。旦那様自作のホームラン的を写真に撮らせてもらった。風が強かった事、帰りの飛行機の時間的余裕が無かった事を言い訳にHRを打てずに帰った。奥行き50mだという遠目だが大きいHR的のブザーを鳴らしたかった。営業40年以上ともいうおそらく第一世代のバッセンで感じた「古朴さ」は私にとってかけがえない人生の1ページとなっている。
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